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過去の展覧会1999年

大英博物館 古代エジプト展

1999年8月7日~ 1999年10月3日

永遠の美と生命

大英博物館 古代エジプト展

■1999年8月7日(土)~10月3日(日)
■開館時間 :午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
■休館日 :月曜日
 世界の文化遺産の宝庫、大英博物館から、最も人気が高い古代エジプト部門の名品が日本にやってきます。
 悠久のナイルの流れに育まれた古代エジプト文明は、紀元前3200年頃から3000年以上にわたる歴史を刻みました。今に残るピラミッドや神殿などの巨大な建築は、ファラオを頂点とする強大なエジプト帝国の栄光を物語ります。王や紙の石像、水辺の多年草から作ったパピュルス紙に色鮮やかに描かれた絵画など、その芸術も壮大さとち密さを兼ね備えた独特の魅力にあふれています。
 古代エジプト人の造形活動の背後にあったのは、死を肯定的にとらえた世界でもまれな宗教観です。人の死は来世への移行の過程にすぎず、神による審判を終えた魂は、復活して永遠を生きると信じられていました。復活後の肉体を保存するために発達したミイラ作りや葬送の儀礼は、古代エジプト文明の本質を語るのに欠かせないものです。
 葬送に関連する大英博物館のコレクションは世界有数の規模、質の高さで知られます。本展にはその中から選りすぐった150余点を出品します。何種類ものミイラや華麗に彩色されたその棺、女性のミイラを覆っていた美しい金のマスクのほか、魂の審判のために準備された「死者の書」をはじめとする副葬品、王の生前の姿を表した巨大石像の頭部など多彩な内容で、これまで日本であまり知られていなかった古代エジプト人の精神世界を立体的に紹介します。5000年の時を超えて古代人が生き生きと語りかける永遠の生命への賛歌—その「美」の世界をお楽しみ下さい。

主な出品物

サトジェヌティの黄金のミイラマスク サトジェヌティの黄金のミイラマスク(紀元前1900年頃/高61.0cm/大英博物館蔵)
女性の自然ミイラ「ジンジャレラ」 女性の自然ミイラ「ジンジャレラ」(紀元前3300年頃/長151.0cm/大英博物館蔵)
アニの葬祭用パピュルス アニの葬祭用パピュルス(紀元前1250年頃/縦38.4cm×横65.1cm/大英博物館蔵)
ヘヌトメヒトの木製外棺(新王国時代) ヘヌトメヒトの木製外棺(新王国時代)
若い男性のミイラ(ローマ属領時代) 若い男性のミイラ(ローマ属領時代)
メンチュヘテプ二世像頭部(中王国時代) メンチュヘテプ二世像頭部(中王国時代)
襟飾りからの花形ビーズ(前1352-1336年頃) 襟飾りからの花形ビーズ(前1352-1336年頃)
ジャッカル(山犬)のミイラ(前30年以降) ジャッカル(山犬)のミイラ(前30年以降)
アメンエムハト三世像頭部(中王国時代)

セティ二世像(新王国時代)

カイハプの偽扉の碑(古王国時代)

貴石のビーズのブレスレット、さまざまな護符


—などをはじめ、約150点が出品されます。

ミイラが語ること

—最新ミイラ学への招待—
古代エジプト人が残した遺物の中でも、ミイラほどイマジネーションをかき立てるものはありません。数千年前にこの世を去った人とあい対するのは、何とも感慨深いものです。今日まで残った古代人の肉体は、彼らが死を克服するために傾けた情熱をほうふつさせますが、最先端の科学技術を用いれば、彼らが生きていた状況を細かに伝えてくれる貴重な情報源ともなります。
ミイラ作りは、死後いったん遺体を離れた魂(カア)が来世を生きるため遺体に戻れるよう、腐敗を防ぐ手段として行われるようになりました。先王朝時代に砂漠の熱砂に葬られた遺体が乾燥し、良好な状態で保存されるのを目にして、発達したとも言われます(本展出品の「女性の自然ミイラ(ジンジャレラ)など)。せっかく墓泥棒の手を逃れたミイラもヨーロッパでは中世以来、見せ物となるほか、薬にするためつぶされたり、近代に至っても絵の具の材料にされたりするなど、たびたび災難にあってきました。本格的に科学研究の対象となったのは、ようやく19世紀の初めです。1960年代からはX線照射が盛んになって、包帯を解かずともミイラの内部の様子がわかるようになります。コンピューターによる断層撮影(CTスキャン)も応用されて、ミイラから得られる情報量は飛躍的に増大しました。
しっかり密封された棺の中に納められるミイラもあるため、このような科学的な手段を用いない限り内部の様子はわかりません。1991-92年に行われた、紀元前900年頃の女性神官のミイラの調査では、高感度のビーム投射により、遺体内の構造、骨や組織の残り具合、ミイラ化の材料、包帯に巻き込まれた護符や小像などが鮮明に映し出されました。歯の状態、骨の成分などのデータから、19歳から23歳の間に亡くなったと推定できます。頭部の3D復元CGも作られ、頭蓋骨中の亜麻布の詰め物や、いくらか残っている皮膚や組織の様子が明らかになりました。
ミイラ研究に用いられた技術は、現代医療にも大きな貢献を果たしています。ミイラの体内を超音波で探る手法は、妊婦胎内の胎児の様子を調べるのに応用され、成果を上げています。本展では、CTスキャン画像などによりこのような研究の成果を立体的に紹介するコーナーを設け、ミイラの世界に別の角度から光を当てます。ミイラは昔のハリウッド製ホラー映画に登場するような恐ろしい存在ではなく、人類の過去について貴重な情報を豊富に提供してくれる、大切な友なのです。

展覧会は6章で構成されます。(所蔵者の都合により、変更が生ずる場合があります。)
第1章:祈りの場
陽光が照りつけるエジプトの大地。その生者の領域と死者の静の世界を結ぶところが、強大な力を誇ったファラオ(王)のための葬祭殿や神官・書記などエリート層の墓に置かれた礼拝堂です。死者の似姿の像が作られ、復活した死者が生命を保てるよう祈りや供物が捧げられました。永遠の生命への道筋をたどる本展覧会は、ここから出発します。巨大な「アメンヘテプ三世巨像頭部」(紀元前1400年頃)や、ハトシェプスト女王あるいはトトメス三世と考えられる「王像頭部」(前1479-1425年頃)をはじめとする王の姿を表した石像から、当時の人々の姿をしのばせる「葬祭用男性立像」(前2200年頃)など写実的な人物像まで、王に葬祭の場に設置された像を集めて古代エジプトの人体表現のエッセンスを鑑賞します。
第2章:沈黙の世界へ
次いで観覧者は死者の領域—静が支配する墓所へ導かれます。儀式を執行する層祭殿や礼拝堂と死者の眠る墓室の境には、門柱と扉を模した「偽扉」と呼ばれる石碑が置かれました。死者の霊魂はそこを通って礼拝の場へと至り、捧げられた供物を採って糧とします。墓の中には死者の生前の肩書きを記した碑や、冥界での霊魂の審判がうまく運ぶよう願ってパピュルス紙に描かれた「死者の書」が納められました。遺体は丁寧な処理を施してミイラにされます。二重あるいは三重の棺に入れられて来世への旅立ちの準備をしました。内蔵もまた処理の後、壺に納められました。生前愛用した装身具や来世での必需品などは、死後の世界でも役立つよう、身につけられ、あるいは箱に入れて副葬されています。
この章では、2メートルを超える「カイハプの偽扉の碑」(前2494-2345年頃)や石棺などで墓所の様子をしのびます。美しく飾られたミイラとその棺、身につけていた華麗な胸飾り(前1275年頃)、襟飾り(前1352-1336年頃)などは、死者がいかに大切に葬られたかを雄弁に語ります。
第3章:死後の肉体の保存
古代エジプトの「ミイラ第1号」はオシリス神です。弟神セトの嫉妬により殺害されたオシリスは、妻のイシス女神の手によってミイラ化されて復活し、冥界の主となりました。古代エジプト人は、復活を果たすためにはオシリス神にならって遺体をミイラ化することが欠かせないと信じます。この神は「プタハ・ソカル・オシリス神像」(前250年頃)のように、他の神と混合するなど、さまざまな形もとっています。
実際には、前3300年頃の「女性の自然ミイラ(通称「ジンジャレラ」、頭髪のショウガのような色による)」のように、乾燥した大地に自然葬された遺体がミイラとなったことから遺体の保存を始めたのかもしれません。ミイラ作りに使われた切開皿など、再生のための儀礼の第一歩であるミイラ化の作業に焦点をあてた展示は、日本ではほとんど例のないことと注目されます。
第4章:死者を守る呪術
ミイラとして保存された遺体は邪悪なものに侵されないよう、さらに呪術的な手段を用いて守られました。この章で展示する20点を超える護符類(お守り)は、多種多様な機能や勝ちを象徴しており、ミイラの包帯にはさみ込まれて魔を寄せ付けない働きをしました。「死者の書」や、死者が来世で使役を言い渡されたときに代わりをする小像シャプティなど、ミイラを助けるものも副葬されました。本章では、世界で最も美しいといわれるパピュルス文書「アニの葬祭用パピュルス」を含む、「死者の書」を描いたパピュルス郡も見逃せません。
第5章:棺の装飾の変遷
古王国時代からファラオをはじめ高位の人々は豪華な墓を築き、石室の壁を美しく彩りましたが、時代が下って盗掘の危険にさらされると小規模な墓に転じます。墓に施されていた装飾は、こんどはミイラを収める棺に行われるようになりました。木、石、カルトナージュ(石膏で固めた亜麻布)などさまざまな素材を用いた人形(ひとがた)棺が発達し、ミイラを守るための呪術的な装飾が極彩色で棺の表面、内部、底部にびっしりと描かれます。高位の人のミイラは生前の面貌に似せたマスクをかぶっていました。ローマ帝国領に入った時代には「若い男性のミイラ」(2世紀初)のように近代西洋画に似た写実的なミイラのポートレートが作られます。華麗な彩色棺が一堂に並ぶこのセクションは、本展の大きなみどころのひとつです。
第6章:永遠を生きる
手厚く葬られ、さまざまな供犠を受けた死者は、死を克服してついに復活を遂げます。死者が来世で空腹を覚えないためのパンなどの食物や、それを作る召使いの模型から、愛用の化粧品入れまで、現世をまるごと来世に持ち込むための副葬品が墓中に納められました。人間のよき友、動物もミイラにされました。全編のフィナーレであるこの章で展示する「サトジェヌティのミイラマスク」(前1900年頃)や「ヘヌトメヒトの木製外棺」(前1300年頃)は若々しい女性の顔を金色で表しています。死を克服して、輝かしい神の肉体を得たことを象徴しているのです。
【古代エジプト略年表】
初期王国時代【第1~2王朝】
前3000年頃 ナルメル王、初めてエジプト全土を統一(第1王朝)。首都メンフィス。デン王の頃から上下エジプト王の称号が使われ始める。
古王国時代【第3~6王朝】
前2650年頃 ジェセル王即位。ジェセル王の階段ピラミッド。
前2550年頃 古王国時代の最盛期。ギザに三大ピラミッドが造営される。カフラー王、巨大なスフィンクスを造営。
前2500年頃 太陽神ラーの信仰が盛んになり、太陽神殿が造営される。
前2270年頃 王権が弱体化し、地方勢力が強大化する。
第1中間期【第7~10王朝】
前2200年頃 国内は混乱し、群雄割拠の状態になる。
中王国時代【第11~12王朝】
前2040年頃 テーベ候メンチュヘテプ二世が上下エジプトを再統一。首都テーベ。
前1950年頃 セヌウセルト一世、ナイルの第3急端まで進出。
前1850年頃 セヌウセルト三世、支配地域を拡大する。
第2中間期【第13~17王朝】
前1790年頃 王権が再び弱体化。
前1680年頃 アジアの遊牧民ヒクソスが上下エジプトを占領し、初めて異民族王朝が成立。馬と戦車をもたらす。
前1650年頃 第17王朝を開いたテーベの豪族がヒクソスに対抗。
新王国時代【第18~20王朝】
前1567年頃 アハメス王、国土を統一し、第18王朝を開く。首都テーベ。
前1510年頃 トトメス一世、アジア遠征。初めて「王家の谷」に墓を作る。
前1500年頃 ハトシェプスト女王、トトメス三世の摂政となる。
前1480年頃 トトメス三世の治下、領土最大に。
前1375年頃 アメンヘテプ四世(アクナテン)の改革。テル・エル・アマルナへ還都。
前1360年頃 ツタンカーメン王即位。都をテーベに戻す。
前1320年頃 ラムセス一世、第19王朝を開く。カルナック神殿の大列柱室の建設開始。
前1285年頃 ラムセス二世、シリアのカデシュでヒッタイト王と戦う。
前1130年頃 ラムセス九世のとき内政混乱する。
第3中間期【第21~24王朝】
前 935年頃 異民族による支配(リビア、ヌビア、アッシリア)が始まる。
末期王朝時代【第25~32王朝】
前 600年頃 エジプトの王による最後の繁栄。
前 525年頃 第一次ペルシャ支配の開始。
前 332年頃 マケドニアのアレクサンダー大王、エジプトを制服する。
プトレマイオス朝時代からローマ属領時代
前 305年頃 アレクサンダー大王の将軍プトレマイオスがエジプト王に即位。
前 196年頃 ロゼッタ・ストーンが建立される。
前 30年頃 クレオパトラ七世自殺。エジプトはローマの属州となる。
※「NHK大英博物館2 エジプト・大ファラオの帝国」(日本放送出版協会)より抜粋

主催

大英博物館、東京都美術館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社

後援

外務省、文化庁、英国大使館、ブリティッシュ・カウンシル

協賛

凸版印刷株式会社、山久株式会社

協力

日本航空

お問い合わせ

【東京都美術館】
〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36 TEL 03-3823-6921
NTTハローダイヤル :TEL 03-3272-8600

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